India  1

プロローグ


この旅行記は、私が新婚旅行で一週間インドを訪れた間に書き溜めたものを、帰国後まとめ直したものです。ガイドブックでの下調べや宿の予約などを一切せずに飛び込んでいった冒険旅行でした。これを読んでインドに興味を持ってくださる方が増えるのを願います。

            平成21年12月

11月16日  インド初日(1)

 

機内窓のスライドを少し空けるとまぶしいくらいの陽光が差し込む。眼下の厚雲を見やると所々の切れ間から土色の地面が見える。道路のような形状の細い線はそのほとんどが舗装されておらず、両脇にはこれも土色の塊がポコポコと立ち並ぶ。今まで様々な都市をこの様に眺めた事があるが、初めて見るこの街の色合いに少し驚く。

到着前の機内アナウンスが流れ、周りの乗客(ほとんどがインド人)はせわしなく身支度を始める。褐色の肌に派手なサリーをまとい、ギラリとした目つきで前方の液晶モニターを見つめている。

もう一度窓の外を眺める。さっきよりはっきりと街の様子が分かる。空港から伸びる一本の幹線道路らしき道は車でみっちりと埋められており、ほとんど動いている気配はない。たった一本しかないその道の様子に旅の期待と不安が混ざったような気持ちになる。

両翼のフラップがいっぱいに広がり、後輪が着地した衝撃のあと、機体は無事着陸。同時にインド人乗客が一斉に出口を目指して立ち並ぶ。飛行機はゆっくりと到着ゲートに向かう。
AM10:40。予定通りインディラガンディー国際空港に到着。バンコクの空港で乗り換えて15時間のフライト。高ぶる気持ちを抑え、両替を済ませ、タクシーチケットを購入。

インドのタクシーは悪名高く、客の言った通りの目的地に向かってくれないので政府公認による事前のチケット支払いが観光客には一般的であるとのこと。

タクシー乗り場に着くといきなりチケットをひったくられ、仕方なくついていくと二人組の男のタクシーに乗せられる。他に、街に向かう交通手段を知らず、成り行きに任せる。私と妻と男二人を乗せたタクシーは勢いよく空港を飛び出す。 

11月16日  インド初日 (2)

 

インディアンポップが大音量で鳴り響く中、運転手は時折振り返りながら話しかけてくる。「どこからきたのか?」「名前は?」「どのくらいインドに滞在するのか?」。運転手の英語の発音はめちゃくちゃだったが和やかな雰囲気で会話が弾む。

「これからどこに行くのか?」だんだん本題に入ってくる。「デリーには滞在せず、すぐに列車でヴァラナシに向かう」と用意していた嘘をつく。

こちらのタクシーは空港で観光客をつかまえ、客の行き先とは関係のない宿に連れて行き、そのホテルから仲介料をせしめる。もちろん仲介料は宿代に上乗せされる。そのような被害を無くす為のチケット制だがそれだけではこころもとないので、デリーには宿泊しないという嘘を用意しておいた。

運転手の表情が変わる。先程までの気さくな笑顔は消え、ますます発音のおかしくなった英語で何かまくしたてている。助手席に座っている男は始めから無言で前を見ている。

「これから列車にのってヴァラナシに向かうのでニューデリー駅に直行してくれ。支払いはこのチケットで済ませてある」とだけはっきりと伝えると運転手は一瞬黙ったがすぐに「それならこのままヴァラナシまで運転してやる」と言う。ヴァラナシまでは夜行列車で14時間の距離。本気で言っているのか?と思ったがそれもはっきりと断る。

遅々として進まない渋滞の中気まずい雰囲気のまま、40分程でタクシーはニューデリー駅に到着。車を降りると4、5人のインド人が群がってくる。「列車のチケットはこっちだ!」「宿が無いなら俺について来い!」「俺の紹介する宿のほうがもっと安い!」。単語を並べただけの勧誘が私達二人に集中する。運転手は運転手で「エアコンを付けてやったから追加料金を払え」と迫ってくる。すべてを振り切り妻の手を引き、駅に向かう。道はクラクション、排気ガスが充満し、駅構内も客引きやインド人旅行客でごった返し、床には浮浪者が這いつくばっている。その見上げる視線で背筋に寒気がはしる。やっとのことで外国人用列車チケット購入窓口のある部屋にたどり着く。

白人の旅行客に安堵する。 

11月16日  インド初日 (3)

 

今回の旅の予定は往きの飛行機の中で組んだ。直前にすませた結婚式の準備が忙しく、ガイドブックすらロクに目を通していない。行きと帰りの二人分の航空券だけ用意し日本を飛び出した。それで大丈夫であると自信があったからであるが・・・・。

予定は以下の通り。


11月16日  デリー(国際空港のある都市)を観光しそのまま一泊。
11月17日  半日デリーを観光。夜行列車使ってヴァラナシ(ガンジス川の沐浴場で有名)に向かう。
11月18日  ヴァラナシ到着。観光しそのまま一泊
11月19日  半日ヴァラナシを観光。夜行列車使ってデリーに戻る。
11月20日  デリーから列車(二時間)でアーグラー(タージマハルのある)に日帰り観光。
11月21日  デリー観光(予備日)
11月22日  帰国


購入窓口のある部屋に入った私たちは明日のヴァラナシ行きの列車チケットを手に入れるべく窓口を目指す。分からないなりにも申し込み用紙を埋め、窓口に持って行くとチケットはすべて売り切れとのこと。今は観光客が集中するシーズンらしい。そんな中、今日明日のチケットを手に入れるのが困難なのは当たり前。段々ちょっとヤバイなぁ思い始める。思案していると、窓口の係員が部屋の入り口脇にある相談カウンターに行けという。そのカウンターで事情を説明しどうにかしてヴァラナシに行けないかと頼み込む。対応してくれたインド人は無愛想に見えたが念心に列車をさがしてくれ、少し時間帯の早い列車があることが判明した。ヴァラナシ到着が朝の4:50なのが気になるが背に腹は変えられず、用紙の記入方法を確認し再度窓口に持っていく。すると先程は親切に相談カウンターまで教えてくれた係員が今度は一向に受け付けてくれようとしない。残り二席しかないと知っている私達は気が気でなかったが、後ろに並んでいたインド人の婆さんに「まあ座ってゆっくり待ちなさい」とたしなめられる。やっとの事でその係員の隣の係員に受け付けてもらい何とかヴァラナシまでの往復チケットを手に入れる。その間すべての荷物を担いで動いていた二人は汗だく。 

11月16日  インド初日 (4)

 

次は今夜の宿を探さなければならない。
宿はすべて現地で調達するつもりでいたが、出発の直前に妻の母親から「危ない事だけはしないでくれ」と言われ、保険をかけるつもりでニューデリー駅の近くに初日の宿を予約しておいた。二人とも疲れていたのでその事を妻に話し、予約してある宿に向かうと決めたが場所が分からない。もともと行くつもりが無かったので場所の確認をしていなかった。地図が無い中どうやってそのホテルを探せばよいか。駅の近くであることは分かっていたのだが、先程の事を思い出すと町の人に尋ねる気にならない。

途方にくれているとさっきから隣に座っていたバングラディシュ人が日本語で話しかけてきた。二人のやり取りを聞いていたのであろう。彼もホテルの名前は分からなかったが、駅の外にいる警官に聞いてみろと言う。

また荷物を担いで駅構内の雑踏に踏み込む。人の群れを掻き分け掻き分けやっとのことで警官までたどり着く。大海で流木につかまった様な気分。期待を込めて宿の住所を尋ねてみる。ところが彼はちょっと困ったような振りをしてあの辺りだと腕を伸ばし指先をグルグルとやる。
ダメだ。あてにならない・・・。
「沢山ホテルは無い。手当たりしだいの人にホテルの名前を聞けば一人くらい分かるはずだ。」そう思い、妻の手を引き駅前の大きな通りを越えニューデリーの街に乗り込む。 

11月16日 インド初日(5)

 

そこからが大変であった。
道を埋め尽くす車やリキシャは常にクラクションを鳴らし続け、野良犬や牛が徘徊し、それらの臭いやホコリ、音の洪水に強いショックを受け思考が停止してしまう。重たい荷物を背中に背負い、尋ねるインド人毎に違う方向を示され道を右往左往する。

その様子を見ていたのか、若いインド人の集団が妻の手を引く私に向かって冷やかすように声を張り上げる。街中から注目されているような視線を受け、そのプレッシャーから逃れたいが為に予約しているはずのホテルに向かうという事に考えが固執していく。

結局ホテルは見つからず、疲れ果てもとのチケット売り場まで戻って時計をみると時刻はPM4:00過ぎ。なんと最初に警官に尋ねてから三時間以上も同じ場所を歩き廻っていたことになる。頭の中が真っ白になって「日本に連絡して住所を調べて貰おう」等とボーっとしながら考えていると前から日本人らしき中年男性がこちらに向かって歩いてくる。ここで彼にホテルの住所について聞くという行動に出ると余計に混乱して時間だけが過ぎてしまうのではないかと思い、話しかけるのをやめる。

だが、冷静に考えてみると駅前の混雑した公衆電話の列にならび、その固定電話でのやり取りで予約してあるホテルまでの誘導がうまくいくのだろうか?その行為が限りなく困難なことに気付き、また頭の中が真っ白になる。そこに、先程通った中年男性の連れと思われる男性が私達の前を通りかかる。
決心してその人に話しかける。すると、ホテルの住所は分からないが彼らが昨日まで泊まっていた安宿を教えてくれるという。
なんと、こんな簡単な事に気が付かない・・・。
私達のようなバックパッカーが山ほどいるこの街で安宿を探すという選択肢を私は自然と排除していた。「妻が安全に寝られる場所を探す事」がいつの間にか頭の中を占めてしまい、想定外の事態にも見舞われ完全に冷静さを失っていた。


その時教えられた安宿の一室でこの日記を書いている。外が少し騒々しくボーイが異常にアルコールを勧めてくるが、妻は隣でスヤスヤと寝ている。今はそれだけで満足である。
話は続く。 

11月16日  インド初日(6)

 

日本人男性に教わった安宿は駅前の通りから更に人の多い狭い道を入って行かねばならず、再度駅構内の雑踏を掻き分け大通りまで出てきた私達は先に進むのを躊躇していた。

すかさず客引きのインド人が話しかけてくる。安宿の近くの目印となる通りを尋ねると「こっちだ!こっちだ!」と明らかに違う方向に連れて行こうとする。あっという間に人だかりができ、客引き達はそれぞれのホテルの名刺を見せて私達をつれて行こうとする。
雑踏と大音響のクラクションの中、私は必死になって大声で通りの方向を尋ねる。そこに、通りかかったタクシーの運転手が無言で一つの方向を指差し走り去った。
すると客引き達は残念そうな顔をして舌打ちをしている。「この方向だ!」そう直感し、運転手に示された方向を突き進む。

しばらく大通りから離れるようにその道を進んでいくと段々と車のクラクションが聞こえなくなってきて、すっと穏やかな気持ちになる。大きな音というものがこれだけ人を不安な気持ちにさせるものかと思う。


目印の通りも見つかり、無事宿に着く。部屋をチェックするとシーツも清潔でシャワーからはお湯も出る。料金は1100Rp、日本円で2300円。涙が出るほど有り難い。
チェックインを済ませ、ブーツを脱いでベッドに座る。本当に不甲斐無い自分、荷物を背負わした状態で三時間も妻を歩かせてしまった事、そして空腹感で疲労はピークであった。
とりあえず、シャワーを浴び着替えると時計はPM5:30を示していた。
朝から何も食べていない。
こちらの日の暮れが何時かは分からないが外の様子からすると、あと一時間ももたないであろう。さすがにこの安宿街で食べ物を調達する気になれず、ガイドブックを開く。調べてみると多くのレストランが集まる地区がある。歩いて30分程の距離、とにかく行こうと決めた。行かないと食べるものがない。 

11月16日  インド初日(7)

 

安宿街から駅前の大通りまで戻ると例のあの騒音。
今度は荷物が軽いのでまだマシだが、とにかく排気ガスがひどい。妻も口を押さえながら辛そうに後をついてくる。どうにかしてレストラン地区にたどり着くが今度はガイドブックに載っているはずの店が無い。また歩き回る。

そうこうしているうちに一人のインド人に声をかけられる。(このインド人はご丁寧に政府発行の身分証まで偽造していた)身なりも良さそうだし、偶然目の前に警官らしき人が立っていたこともあり、つい心が緩んで話を聞いてしまう。
そうなるとインドの詐欺はしつこい。途中で気がついたが既に遅い。長々と話は続き貴重な時間だけが無意味に過ぎていく。どんどん日は暮れ、またしても頭がパニックしそうになる。
インドの街は電灯が少ない。このまま夜になり浮浪者や野良犬の徘徊する街をさまよい歩くのだけは避けなければならない。空腹感、疲労感がつのりまたしても悪い事態。
急ぎ足で駆け回り何とかコーヒーショップを見つけ、ペットボトルの水とアリッタケのサンドイッチを注文し外を見ると完全に日は暮れている。 

11月16日  インド初日(8)

 

最短距離で宿まで帰らなければならない。いろいろと歩き廻った初めての街、方向に自信が無くなりコーヒーショップの店員に道を尋ねる。
今から考えるとその行為がそもそもの間違いであった。
インド人は実はテキトーに道を教える。彼らに悪気はないのだろう。そのコーヒーショップは客層も良く店員の人柄も良かった。つい正しい事を教えてくれるだろうと信用してしまう。先程話しかけられたインド人詐欺師の事といい、明らかに「誰かに助けてもらいたい」という心の隙がある。店員に教えられた間違った道をひたすら妻を引っ張って歩く。完全に夜となった街を私はパニックになりながら彼女の手をひっぱり続け、そして道に迷っていく。

 

どうみても来しなに通った道でない事が分かったとき、私は気持ちを切り替えオートリキシャを停める。それまでは絶対に乗ろうとは思わなかったが、先程の安宿の件が頭をよぎり決心する。

リキシャに乗った二人はさっきまでの苦労がウソのように街を快走する。
道を歩いていた時はクラクションの大音響で狂ったように走り回る凶器にしか見えなかったこの乗り物が、いざ乗ってみるとまったく人に見られず、誰にも話しかけられない世界一安全な場所に思われる。そんな中、妻は買ったサンドイッチが潰れないよう荷物を持ち替えている。よっぽど冷静。料金は50Rp。110円。
少し何かが分かったような気がした。
リキシャを降りて、部屋で一日分の栄養を取って今日はもう寝る。
明日は昼の列車でヴァラナシに向かう。
そういえば安宿街を歩いている時に妻が電卓を盗まれる。(取り出しやすいようにカバンのサイドポケットにいれておいたもの)盗られた瞬間に気が付いたのだがあっという間に電卓は街に吸い込まれていった。
                                                      つづく・・・ 

11月17日 ヴァラナシへ向かう(1)

 

ヴァラナシ行き寝台列車にて・・・
なかなか座り心地の良いベンチ、向かいの席のインド人は陽気なおじさん。妻はペットボトルの水を抱えながらうつらうつらしている。車窓には延々と畑と農家の景色が続く。


話は昨晩に戻る。
買ってきたサンドイッチをすべて平らげPM7:00頃にはもう二人とも寝ていたであろう。
という事に気付いたのは雨の音でふと目が覚めた時だった。時計はPM10:00を少しまわっていて外はどしゃ降り、時折カミナリまで鳴っている。インドは既に乾期に入ったと思っていたので意表を突かれる。
その激しい雨音で初めは寝ぼけていた意識が少しずつはっきりとしてくる。妻は隣で寝ている。
いつの間にか外で騒いでいたインド人もいなくなり、雨音だけが聞こえる。明日のヴァラナシ行きについて考えをめぐらす。
本当に行くべきだろうか・・。
昨日一日の出来事を思い出す。十分な準備をしてこなかったツケがまわってきている。
自分ひとりの旅行との違いをあまり想像せずに、妻を連れてきてしまったことを昨日一日でイヤという程感じていた。
このまま新しい街に向かうというリスクに明確な自信が持てず初めてガイドブックの「ヴァラナシ」の項を読みあさる。
とりあえずの心配は移動手段である寝台列車についてである。インドの列車といえば例の様に屋根にまで人が這い上がり、窓からは手足がはみ出る、いわゆる肉詰め列車。チケットを確認すると「HA1」とあるがどんな席だか分からない。更にヴァラナシにはAM4:50に着く。当然、宿は確保していない。
本当に行くべきだろうか・・。
今いるデリーにだって観光スポットはいくらでもある。つまらなくなるが、残りの日程をこの街で消化する方法もある。そうすれば少しは安全に過ごすことが出来る。

夜中に一人で起きてそんな弱気な状態で考えていると、まぁこの程度の考えしか浮かばない。
それとなく寝ている妻に相談してみる。
分かっているのか、いないのか「うんうん」とうなずくが「ヴァラナシに行くのはやめよう」というと返事をしなくなってしまった。この人は自分が反対のときはいつも黙る。良くも悪くも彼女らしいやり方である。少しすると眠くなったので電気を消して横になるとすぐに寝むれた。 

11月17日 ヴァラナシへ向かう(2)

 

朝起きて昨晩と同じ内容を起きている妻に相談すると、今度ははっきりと
「せっかくチケットが取れたのに勿体ない。こんな日程ではインドに来た意味が無い。」
と、結局は私が心の中で考えているのと同じ意見。
しかもヴァラナシから帰ってきた後にタージマハルも絶対に見に行くと言う。
「そうだね。そのくらい行かないと面白くないね」
「そうだよ」
「それならついでに列車に乗る前にこの宿の食事で朝御飯を食べてみよう。
とりあえず俺一人で」
「いやいや、それも食べる。お腹が空いた」
なんだか嬉しくなってきて予定を書き出してみる。
ヴァラナシに行って帰ってきてからデリーに荷物を置いて身軽でアーグラーに行く。
ついでに最終日のデリー市内観光はTAXIでもチャーターしよう。
と、昨晩一人で考えていたのが一体何であったのかと疑うくらい良いアイディアがポンポン出てくる。完全に心は決まった。しかもなぜだか今度は完璧にうまくいく自信がある。
実際に組んでみた予定を見ると今から30分後にはアーグラー往復の列車チケットの予約をしに駅に行かなければならない。

二人は急いで身支度を済ませ部屋を飛び出る。駅まで行くついでにもう少しマシな宿でヴァラナシから帰ってきた日の部屋の予約をする。帰りには少しでも街に馴染むように二人分のショールも購入しよう。
駅ではすんなりとアーグラー往復のチケットを手に入れる。予定していた日はタージマハルの閉館日であった為、一日ずらして最終日に行くことにする。問題ないでしょう。 

11月17日 ヴァラナシへ向かう(3)

 

私たちの宿のある安宿街はバザールになっており、駅からの帰り道にショールを売る店を探すには苦労は無かった。品の良い柄を店先に掲げる店に入る。何点か選び実際に妻が羽織ろうと体を向けた瞬間胸を触られる。本人はカンカンに怒って店を出て行くが、私は「あー買えなくて残念。いい柄だったのに・・」とか考えている。
気を取り直して入った二店目で私たちは計10枚のショールを買った。全部で1600Rp。2350Rpからまけてもらったのだが実際はこの半額くらいなのであろう。(その証拠に店主は会計の際、三度も神様に感謝の祈りを捧げていた。先程の胸さわり事件を目の前にしている私にはこの店主が神様に感謝する光景はとても興味深い。)
だが、これらのすばらしいショール10枚全部をたった3000円ほどで買えてしまうという事にどれだけの人の苦しみがあるのだろうかという事の方が余程気になる。

 

別の話になるが、デリーの街を歩いていると様々な人を見かける。それぞれに顔つきや肌の色が違い、明らかに人種が違うことが分かる。この国は3000年以上の歴史がありその間に大陸から攻めて来る他民族に何度も征服されている。征服した民族が後から襲ってきた民族にまた征服され、その過程で混血が進まないよう考え出されたのがカースト制度。この思想はヒンドゥー教に取り入れられ、今でもインドの農村部では根強く結婚や職業選択に強い影響を及ぼしている。低いカーストの人々は一生そこから抜けられず、低賃金の仕事や汚れているとされる仕事にしか従事できない。更にはこのカースト制度からもはずされている不可触賤民とされる人達もいる。彼らは会話をすることはもちろん目に触れることすらも疎まれている。イギリスによる植民地政策もこのカースト制度を巧みに利用したものだった。
デリーの街を見ているとウンザリするほど混沌としている。人も車も牛も野良犬もルール無視で自身の都合で生きている。長い歴史を通してインドの社会を形成してきたこの思想が唯一の秩序のように思える。

ショールを買って部屋に戻り、すぐにルームサービスを頼む。
こんな安宿でも電話一本で食べ物を持ってきてくれる。チキンカレー2皿、ライスにチャパティー。計240Rp。最初は具合を探るため自分一人で食べる。一口食べてまったく問題ナイと感じ二人で夢中で食べる。(後に列車でもカレーを食べる事になるのだがそれは相当に危なかったと思う) 

11月17日 ヴァラナシへ向かう(4)

 

列車はAM11:40発。妻は既に決めていたのか、ショールを一枚羽織って身支度を済ませている。AM11:00に部屋を出る。朝のバザールを通ってニューデリー駅へ。昨日と比べ人通りは少なかったが昨晩の雨で地面はぐしょぐしょ。でもこの道がアスファルトで舗装されていたらおかしいなと考えつつゆっくり歩く。

駅では多くの人でごった返していた。事前に調べておいたので人の流れにのり8番のプラットフォームを目指す。昨日から何度も宿と駅を往復したおかげでだいぶ雰囲気にも慣れてきた。昨日はすべてのインド人が私達に注目しているように思われたが、よく見るとそんなワケがなく皆それぞれのことをしている。街はウルサクてクサイけど人は結構優しそうだなと思えてくる。

プラットフォームには降りずにまずは連絡通路から下を見下ろす。一面に人が座り込んでいる。汚い床と極彩色のサリーのコントラストがとてもきれい。泥水に絵の具を垂らしてマーブル模様にした感じ。列車到着10分前に下に降りる。店と店員の雰囲気で選んだ売店で水とスナック菓子を買う。
 

列車が入って来た。最初は貨物車、その次に鉄格子の嵌まった窓の車両(これには乗りたくない)しばらくその車両が続いてやっとまともな窓ガラスのある車両、更にしばらくして「HA1」と張り紙のある車両が滑り込んできた。何とかマトモそうである。
実は車両に乗り込んでみて14時間絶えられそうにないと判断した時は列車を降りようと決めていた。そんな心配は必要のない心地のよさそうな席であった。隣のインド人も陽気で話やすそう。

列車が走り出す。昨日の事を日記に書きながら車窓を眺める。ずぅーっと農園地帯が続く。列車の旅の良いところは居ながらにしてその土地の人々が生活している様子や景色が見られること。昨日は一日中歩きっぱなしだったので、今は駅で買ったスナック菓子を食べながら水を飲み、ゆったりと日誌を書きながら気を和ます。

11月18日 早朝  ヴァラナシ到着 

 

列車に揺られているうちに居眠りをしてしまい、目を覚ました時は向かいのベンチのインド人は早くも背もたれを倒したベッドで横になっている。妻はガイドブックを読みながら、私は更に日記を書きすすめる。
 

しばらくすると向かいで寝ていたインド人が起きてくる。昼寝のつもりだったのだろう。陽気な調子で話しかけてくる。砂糖工場の技術マネージャーらしい。なんだかよく分からないが・・。他愛のない話をしているうちに日が暮れていく。今のインドはPM6:00くらいには真っ暗になる。車掌が夕食の注文を聞きに来る。ベジかノンベジかを選べるらしく、食べるつもりは無かったがとりあえず一つずつ頼んでおく。
ところがその後いっこうに用意される気配がない。寝たら良いものかどうか迷ってそのうちウトウトとしているとフラッと持ってきた。もうPM9:00をまわっていてなんだか腹も空いているせいか、イイ匂いがする。
ノートくらいの大きさのトレーに4つプレートがのっている。それぞれ銀紙でふたがしてあり開けると、スープとライスが一つずつ、カレーが二つ。もう一つのトレーと比べるとカレーの種類が違う。プレートの隙間にねじ込むように薄い白いビニール袋に入った萎みきったチャパティーが一枚。舌先でカレーの味をチェック。結構ヤバソウ・・・というかぬるい。
見ると妻はもう食べ始めている。負けじとスプーンでカレーをすくう。

注文して二時間もたったものを食べるのは勇気がいったが今のところどうもない。
満腹になりふたりともそれぞれのベッドで寝る。
腕時計のアラームで目が覚める。周りの人たちは身支度をはじめている。列車は予定時刻通り駅に着く。ヴァラナシ到着。 

11月18日  ヴァラナシ観光(1)

 

今いる部屋はヴァラナシの駅で知り合ったオートリキシャの兄ちゃんが探してくれたホテル。なかなか広くて清潔。中心街に近いので少し外がうるさいが列車で寝るのに比べればマシ。
駅からこのホテルまでは一時間程、予約で満室のホテルをめぐって探しあててもらった。
少し休んで、昨日の列車での事を日記に書く。
これからその人の案内でヴァラナシを巡る。

彼は私たちが最初に乗ったリキシャの運転手ではなかった。早朝にヴァラナシの駅に着きガイドブックを見ている私たちに話しかけてきたのが一人目。その運転手は素直に指定したホテルに連れて行ってくれたが、部屋は予約でいっぱいであった。
外に出ると不意に男が話しかけてき、俺の車に乗らないかと言う。当然一台目のリキシャの運転手と喧嘩になるが、様子を見ていると後から来た男のほうが威勢がよい。客を奪っておきながらふてぶてしく自分の論理を振りかざしている。これは頼りになると思い、そいつのリキシャに乗り込み100Rp渡して「ゆっくり休める部屋を探してくれ」と依頼する。7件ほどまわってからだろうか、入り口の雰囲気の良いホテルで私たちは部屋を確保することができた。 

11月18日  ヴァラナシ観光(2)

 

チェックインを済ませ彼にお礼を言うと、ヴァラナシ滞在中のガイドとして雇ってくれないかと提案される。最初からそのつもりだったのであろう。こちらとしてもこの混雑した街をリキシャ無しにめぐるわけにもいかないので快く承諾する。
その運転手とはホテルの玄関でAM9:00に待ち合わせの約束をし、とりあえず部屋に戻り、一休み。列車で寝るのは慣れていないので二人とも少し疲れている。シャワーでリフレッシュしランドリーをフロントに預け、外に出ると彼はニコニコしながら待っていた。

彼のリキシャに乗り込む。行き先は決まっているらしい、「黙って乗っていろ」と背中で言っている様。リキシャが走り出す。
インドの車道はメイン通り以外の舗装はほとんどされておらず、普通に走っている道でも遊園地の乗り物のような楽しさがある。道自体も一車線なのか二車線なのかはっきりせず、とにかくスキのあるスペースに突っ込みクラクションを鳴らし続け、こじあけ、少し進んでは又クラクションを鳴らし続けこじあけていく。

氷砕船のような運転でなんとか市内を抜け出し、何個目かの信号で止まると運転手は急に話を始めた。まずは、北部の街サールナーに連れて行ってくれるという。この地はブッタが始めて教えを説いた町らしく仏教寺が多くあるとのこと。途中、一生懸命神様の説明をしてくれる。こちらが日本人という事でまずは仏教に所縁のある場所に連れていこうという趣旨らしい。
 

着くとそこには日本のそれとそっくりの建物、床が大理石なのは気候の違いによるものか、大仏が寝ていたのは東南アジア特有の姿勢。靴を脱いで日本式に手を合わせる。次に案内されたのが門に「中国寺」と書かれた建物。中国寺って何だろうと思いながら、同じように靴を脱いで拝観する。
こちらでは仏教というものは既に古典となっており、寺そのものがパルテノン神殿の様に観光地化しているようだ。だから名前もちょっとおかしい。運転手はかまわず案内を続ける。次はブッタが始めて教えを開いたとされる所を復元した場所を訪ねる。

そこに入る前に車を停めた運転手、「この場所は特別なので許可されたガイドでないと中の説明が出来ない。友人を呼んでくる」と言う。連れてこられた学生風の「認可ガイド」は朗々と建物の配置や植わってある菩提樹が聖なる場所から移植されたものであることを説明してくれる。
最後に運転手は彼に説明料を渡してあげてくれと言う。あーそうか、認可ガイドであることの「理由」が分かり、苦笑いしながら50Rp渡す。 

11月18日  ヴァラナシ観光(3)

 

サールナーは三蔵法師も訪れたことがある仏教徒にとっての巡礼地の一つでイスラム教徒に破壊されたものを19世紀にイギリス人によって発掘された地。
その発掘されたものの一つなのか私はある建造物に見とれてしまった。ストゥーパとされるその「塊」は日本では卒塔婆に変形し五重塔のデザインの原型である。原型なるものの力強さというか単純な形態の持つ、引き込まれるような魅力。ものすごく大きな建造物なので自然と見上げることとなり、空がバックの背景になる。このことは後日タージマハルを訪れたときも感じたのだが形態を美しく見せるのにとても重要な要素である。

 

すっかり良い気分になって運転手と3人で昼御飯を食べる。初めてインドのレストランで食事をする、しかもインド人と。
コップやスプーンの水滴が少し気になったが目の前でふき取るのも失礼と思いそのままにする。運転手の名前はミャァミョゥイ。何回か発音して駄目だったのでマノイと簡略化する。彼のオーダーしてくれた料理はどれもおいしかった。

食べながら家族の話や結婚感について聞く。インドでは恋愛婚は少ないらしく彼も親に決められた相手がいて、その人と結婚するためにはそれなりの職業についていなければならないという。現在学生の彼はこのようなガイドのアルバイトで学費を工面しながら、政府関係の仕事に就けるよう日々勉学に勤しんでいるという。どこかで聞いたことのあるような泣ける話である。
すっかり満腹になり勘定を済ませる。店の中には手洗い場なるものがあり(後で分かったのだが多くのレストランには客が手を洗う場所がある)三人仲良く手を洗う。「更にこの手を消毒するほうが良いのか」と変なことを考える。 

11月18日  ヴァラナシ観光(4)

 

午後はガンジス川を渡って対岸にある「ラームナガルの砦・博物館」と「バラナス・ヒンドゥー大学」を見学。ヴァラナシを流れるガンジス川には近代的な構造の吊橋が何本か架かっている。その上でリキシャを停めてもらい大河を眺める。Sの字にくねった川の両岸はまさに対照的であった。西側にはガートと呼ばれる沐浴所が所狭しと建ち並び、その背後には無数の細い道でつながれた市街地を形成している。
一転、川の東側にはただただ砂浜が広がるのみ。
初めて見る不思議な光景。
よく見ると橋の架かっている辺りにだけ建造物がみられる。そこがこれから向かう場所であると告げられリキシャに乗り込む。
ラームナガルの砦はかなり老朽化が進んでおり内部は中途半端な博物館といった感じ。よくこんなんで入場料取るよなーと思いつつマノイに連れられ歩き回る。途中でインド人観光客に写真を一緒にとって欲しいと頼まれる。これは旅行中よく頼まれた。シャッターを押そうと思ってカメラを手に取ろうとすると「違う違う、おまえらが並ぶんだ」という感じ。そんなに日本人が珍しいか。 

11月18日  ヴァラナシ観光(5)

 

バラナス大学は今でも2万人以上の学生が通う緑あふれる大学。広大な面積に建物がポツポツと点在し、とても空気がよい。昨日からずっと排気ガスに悩まされていたのでこれはありがたかった。昼下がり、学生たちものびのびと本を読んだりゆったりとお茶しながら会話を楽しんでいる。とてもうらやましいかぎりである。リキシャを降りて中を散策する。ヴァラナシは昔から学問の中心地であったらしく、このバラナス大学は芸術、文化、哲学等あらゆる学問が学べる場所として多くの留学生もいる有名な大学なのだそう。

大学という場所では様々な価値観や意欲が交流する事が大事なことなのでこのような環境はとても良い事である。
朝から観光をして少し疲れてきた。ホテルに戻るよう言うと、その前にヴァラナシシルクを織っている様子を見学しないかと言う。地区一体がシルク生産をしている場所があるらしく土産として買ってもよいかと考え、連れて行ってもらうことにする。 

11月18日  ヴァラナシ観光(6)

 

そこでは本当に街一体でシルクを生産しており、約7500人の人が分業で働いているという。柄を決める金板にポンチで孔を開けている人、それを機織機に装着し織る人、絹糸を依る人、染色する人、織りあがった生地に装飾を施す人。市内の他の住宅地と変わらない外観の町並みの中身は、まるで一つの大きな繊維工場の様であった。一戸一戸の建物が有機的に繋がり、そこを流れ作業で製品が運ばれていく姿は大きな生き物のようでもある。京都の西陣地区も昔はこのようなありようであったか。
土産のシルクも購入してホテルに戻る。

少し休憩をして夜はガンジス川の「フェステイバル」に連れていってくれるという。マノイは朝から全く休憩もせず私たちが部屋にいる間はずっと玄関で待っている。タフガイ。
実は彼のガイド料はまだ決まっていない。
始めにホテルの玄関で料金を訊ねたところ「あなたが決めてくれ」の一点張り。相場を聞いても「それはあなたが決めることだ」と全く答えにならない。とにかく二日間の働きに見合った金額をこちらで決めなければならない。彼はそれまで最高のプレゼンテーションを続けなければならない。程よい緊張感。

支度を済ましてリキシャに乗り込む。時刻はPM6:00。
まずは今夜のフェスティバルを川から見物するにはボートを借りる必要がある。ついでにそのボートで明朝に朝日を見ながらガンジス川下りをしたい。ボート場のあるダジャーシュワメード・ガートでボート屋との交渉の末、二人で一艘を貸しきって3000Rpと決まった。 

11月18日  ヴァラナシ観光(7)

 

日の暮れたガンジス川まで階段を降りていく。降りきると大きな広場となっていて、そこには花売りや漁師、ボート漕ぎ、沐浴する人、乞食、牛。月明かりを頼りになんとか川岸に辿り着く。漕ぎ手に支えられボートに乗り込む。マノイも乗り込んでくる。
ゆらゆらとボートはすすむ。川面を灯篭のような明かりが流れ、フェスティバルの準備をする喧騒が遠くに聞こえる。川上のガートをいくつか案内してもらう。マルカルニカ・ガートは火葬場になっていて、インド人であれば誰もが最後はここで葬ってもらえることを望むという。火葬場といってもそのような施設があるわけではなく、薪で一日かけて死体を焼く。焼き終わった骨は男性ならば胸骨が、女性ならば尾骨がガンジス川に投げ込まれる。一日10体までしか焼かれないこのガートには裕福なインド人が冷凍の死体を空輸で運び込む。 

11月18日  ヴァラナシ観光(8)

 

見わたすと他のガートでは人々は沐浴をしたり洗濯をしたりしている。ガンジス川に自然発生的に造られた水辺の広場に時代時代の権力者が宗教建築を付加して出来上がった景色がヴァラナシのガート郡であることが良く分かる。
ヒンドゥー教の聖地の一つであるこの街には年に数回のフェスティバルの際は何万人と人が押し寄せるという。それこそ、この小さな街中が満員列車のようになるらしい。今夜のフェスティバルは毎晩されるものの一つなのでとても和やかな雰囲気。戻ってくるとそれは既に始まっていた。他のボートを押し分け正面の位置を確保してくれるので、妙に肩身の狭い思いをする。ボートを渡り歩く物売りから買ったチャイを飲みながらの見物。
特等席での見物であったのだが、「フェスティバル」の言葉の響きがそうさせるのか、それともヒンドゥー教独特の極彩色の色彩や派手に火を振り回す儀礼のせいなのか、川に浮かべた船からその様子をみているとなんだかディズニーランドにきたような気分になる。
日本人としては、儀式とは山奥の深々とした所で厳かに行われるというイメージがあるので、このようにチャイを飲みながらボートであぐらをかいていたのでは全く気分が出なかった。しかも、よく見ると隣には大画面の液晶スクリーンがあり儀式の様子を映し出している。さらにCD販売もしているという。完全に白けてしまって「あー寒いなー」とか考える。
フェスティバルも終わり、岸に戻ってボート屋の主人に前金を渡す。遅めの夕飯をマノイと三人でとり、ホテルに帰って就寝。 

11月19日  ヴァラナシ二日目(1)

 

ガンジス川で朝日を眺めるため、ホテルの玄関での待ち合わせはAM5:00。マノイは時間通りに来ている。昨晩リキシャを降りる際に「今日と明日のガイド代を今払ってもよいのだが」とカマをかけてみたが全く受け取ろうとしない。真面目なのか、それともしたたかな思案によるものなのか。ペースは向こうに握られたままである。

朝のガンジス川はとても気持ちが良かった。
昨晩は分からなかったが、今はボートからすべてのガートが一望できる。
それぞれに高さや大きさはバラバラだが、一つの纏まりを成している。それぞれのガートの川岸の広場から階段が伸びているという構成が統一されているからだろうか。その階段は雨季には20mも川の水面が上昇する事態に備えて地盤面をあげて造られた建築物と繋がっている。

朝日が昇ってくる。川の西側に建造されているガート郡に一斉に日があたる。


初めてガンジス川を橋から見下ろした時に感じた違和感はもう無かった。
建築の設計を生業とする者にとって、長い歴史の中で人々が創り上げてきたモノに対する敗北感にも似た感情を抱く瞬間。
ガートで沐浴する人も洗濯をしている人も皆、朝日を拝む。こころなしか牛ですら東の方向をみている。考えて造られるのではなく、自然な要求を満たすように建物は建てられるべきなのか。

「巣」ではなく人間の「住まい」とする為にはどの程度、知恵を働かせるべきなのか。悶々としながら、私も朝日を拝む。
結局、ボート漕ぎは2時間も私たちを案内してくれた。代金払い過ぎたかなと思ったが、大学時代4年間ボート部に所属していた妻は「こりゃシンドイ」と申し訳なさそうであった。 

11月19日  ヴァラナシ二日目(2)

 

途中一度ボートを降りてガートの裏側にあたる旧市街地を散策する。ヨガをする子供たち、ガンジス川の水をポットに入れて売り歩く人、オレンジの布をまとったタイ人の仏教徒。旧市街は道幅が狭いので車やバイクが入れない。
静かでクネクネとした道を当てもなく歩き廻っていると、突然ガンジス川の景色の広がる場所に出る。朝日に照らされキラキラとしたガンガーを眺めているとヴェネチアの雰囲気に似ていると思い出す。人間の根源的な要求は世界共通か。
ガートを見下ろすと人間や牛だけでなく、犬、サル、リス、鳥、様々な動物が歩き回っていて、人間もその動物たちの一員のよう。それらがこの壮大なガンジス川と荘厳なガートにつつまれ宗教的なパワーを発している。


インド文化の根本はこの景色なのだと思う。
ボートに戻ってリキシャを停めているダジャーシュワメード・ガートで降ろしてもらう。降り際にボート漕ぎにチップを渡す。お疲れ様。 

11月19日  ヴァラナシ二日目(3)

 

次はリキシャで「ヴィシュワナート寺院」に向かう。ガンジス川に向かう人ごみを例のクラクション鳴らし攻撃でこじ開け大通りにでる。すると警官にリキシャを停められる。マノイは必死になにか説明していたので、「何なの?」と聞くと「車で入ってはいけない道に入っていたので通行料を渡せ」と言うらしい。駐車場には沢山のリキシャや車が停まっていたので、つまりはワイロを払えば良いということらしい。マノイは渋々払っている。「昨日の警官、何処行きやがった!」と大声で毒づいている。
寺院に行く前に朝御飯を食べる。

初の屋台での食事。乾燥した手のひら大のバナナの葉っぱに猪口くらいの大きさの陶器に盛られたカレーと揚げたチャパティーが二枚。周りのインド人の様子を見て同じように手首に陶器をのせ、指先のチャパティーを片手でモギってカレーをつまんで食べる。
味はレストランのそれを少し淡白にした感じであったがインド人は朝からカレーを食べるのが本当だと分かって少し嬉しかった。
調子にのって御代わりをし、添えつけの生野菜も少しかじってみる。その瞬間に先ほどガンジス川の「下流」にあった浄水場を思い出す。
食べ終わってこれまたインド人の真似をして道端の井戸水で手を洗い、口をすすぐ。今度は川に浮いていた牛の死体を思い出す。 

11月19日  ヴァラナシ二日目(4)

 

ヴィシュワナート寺院は屋根を金メッキで施したヒンドゥー教寺院。イスラムと対立する地域であるため、観光客は財布以外の手荷物を預けなければ周辺にすら近づけない。更に寺院の中にはヒンドゥー教徒しか入れない。通りのコインロッカーに荷物を預け、ボディーチェックを受け、敷地の外から金メッキの屋根を見上げる。寺院そのものの感想というより、あまりの警護の厳しさに建物を見るのに集中できない。
雰囲気だけ味わう。何か疲れてきた。
マノイに「もう帰ろっか」と言うとそれなら紅茶のお土産でも買ってから帰ろうという。
デリーに戻る列車はPM6:00なので時間つぶしに提案に乗る。
彼に紹介された土産物屋のインド人は流暢な日本語を話した。なんでも、小説の「深夜特急」のテレビドラマ版に当時子役として出演したらしく、今では日本人の奥さんを貰って数店の土産物屋を経営しているという。京都から来たというと「モウカッテマッカ、ボチボチデンナ」と腹の立つ事をいう。
デリーの街でもそうだったが、なぜかここインドでは私は日本語に対する妙な嫌悪感がある。流暢な日本語で紅茶を勧められて、あまりにムカツイたので何も買わずに帰ろうとしたが、また土産を買いに出るのも面倒だと思い直し数点選んでサッサと店をでる。
マノイにホテルまで送ってもらい、チェックアウトまで一休み。彼は相変わらず玄関先で待っているという。
私達をホテルまで送る際、彼は自分に何かプレゼントをして欲しいという。彼も私達に用意するという。Tシャツでも身に付けているものでもなんでも良いという。プレゼント交換なんて久しぶりだ。

11月19日  ヴァラナシ二日目(5)

 

部屋に戻ってマノイにいくら払うか妻と相談する。昨日はAM9:00からPM9:00まで12時間の案内。今日はAM5:00から列車が来るPM5:00までのこれまた12時間の案内。
ガイドブックすらロクに読んでいない私達二人を本当にヴァラナシの隅々まで案内してくれた。(事実、ヴァラナシ駅で知り合った日本人は2泊してガートの周りをウロウロしただけだと言っていた)安全で衛生的なレストランでおいしい食事も出来たし、インド人のことも沢山彼から教わった。二人だけでは到底かなわぬ二日間であった。
結局彼には4000Rp払うことに決めた。ひと月の家賃が3000Rpと聞いていたので当然満足な額であろう。私達としてもこの金額でこれだけの案内をしてもらえれば感謝である。

シャワーを浴びて、荷物をまとめていると誰かがドアをノックする。開けるとフロントの女性が立っており、恵まれないインドの人に寄付をしてくれと迫ってくる。仕方なく100Rp渡して出ていってもらう。しばらくして今度はボーイがタオルを持ってくる。今からチェックアウトだというのに・・・10Rp渡す。また少しして先ほどの女性がやってきて今度は寄付をしてもらった証書を送りたいのでメールアドレスを教えてくれという。偽のアドレスを書いて渡すと、100Rpで荷物を預かってやるがどうだ?という。それが目的で来たのだろう。金を渡すと後ろから今度は別のボーイがまたタオルを持ってくる。なんだかおかしくなって笑いながら「all finish」と言ってドアを閉じると静かになった。

フロントに荷物を預け、外に出るとマノイはホテルの守衛となにやら口論になっている。
聞くと、昨日から玄関先に車を停めているのにチップを全然払わないと文句を言われているらしい。
かわりに払ってやる。すると「ほらみろ!真面目に仕事してりゃー誰かがチップくれるんだ。まずは笑顔で客を迎えることを大事にしろ」なんて偉そうに言ってる。
最初から感じていたがこいつはホントに図々しく逞しい。そういえば昨日も荷物を持ったおばちゃんをリキシャではねてたが、動揺もせずしっかりと言い訳をしていた。(おばちゃんは何食わぬ顔で立ち上がり去っていった。インドではこの程度は日常的なのだろうか) 

11月19日  ヴァラナシ二日目(6)

 

マノイが最後の食事の場所として選んだのはとても落ち着いた雰囲気のレストラン。
昼時だというのにほとんど客はいない。
席に着くと彼はいつも通りオーナーと値段の交渉を済ませ、自身のプレゼントを取り出す。オームの印のはいった数珠のようなデザインのブレスレットを二人にはめると、妻には既婚者の意味となる額に付ける飾り、私にはガンジス川の水を入れる為の小さな金属製ポットをくれた。後で川に水を汲みに行こうという。
このあたりで私達は少し感激してしまう。「額の飾り」も「ガンジス川の水」も昨日の会話にあった。しっかりと憶えていてプレゼントにしてくれたのだ。
こちらといえば、こんなプレゼントをもらえるとは思っておらず、また旅の途中の突然の事とあって捨てるつもりであったTシャツと日本のスナック菓子、日本のコインを包みも
せずに渡す。コインの説明なんかしてゴマカス。
すかさず、マノイは報酬の話をする。気になって仕方ないといった感じ。ナフキンに包んで渡す。不安げに中身の金額をきいてくる。伝えるとホッとした様子。そして、これまたすかさず更なるボーナスを要求してくる。もし、よければと付け加えて。靴がないので買いたいという。
少し腹が立ったがこの後しっかり駅まで送り届けてもらうことを考え、了承した。
「もし、よければ」。
今から考えると彼は本当にそのように考えていたのではないだろうかと思う。日本人はそのように頼まれると断るのは失礼であると感じるが、インド人はどうだろうか。それとも日本人のそのような感性を知った上であの様な言い方をしたのだろうか。
とにかくボーナスを了承してもらった彼は機嫌良く食事をはじめる。いつもより大胆に注文したようだ。カレーの他にタンドリーチキンが運ばれてくる。支払いも630Rpとイヤに高い。
美味しかったのでかまわないのだけど。

店を出て、ガンジス川でポットに水を汲み、ホテルで荷物を受け取る。列車到着までに時間が少し空いていたので、ガソリンを給油してやる替わりに駅の北側の静かなエリアを一時間ほどのドライブを頼む。政府関係の施設や高級ホテルが立ち並ぶエリアの並木道を走る。このドライブは彼には予想外だったのか力を振り絞るように話をする。「なんとかがぁー、なんとかでぇー」とズーズー弁のようだ。かわいそうになったので駅に行ってもらうことにする。
ヴァラナシ駅に到着し、約束通りボーナスを渡し、別れの挨拶。妻はピーピー泣いていた。 

11月19日(午後)デリーに戻る(1)

 

列車の到着時刻まで2時間程あったので駅の隅で荷物を下ろす。
そこでは多くの外国人観光客が列車を待っていてインド人職員が到着した列車とプラットフォームの番号をそれぞれに伝えている。
待ちながら、隣に荷物を下ろしたドイツ人夫妻と話をする。彼らは一ヶ月ほどインドを旅行しているという。うらやましい。話の中でインドの列車はよく遅れると知る。往きの列車は時間通り来たので余り気にしなかったが、私達の列車の到着時刻がせまり電光掲示板を見ると一時間半遅れるとある。近くに座っていたオーストラリア人も同じ列車ということで彼らとプラットフォームにある待合室で待つことにした。
プラットフォームに降りると、待合室は男女で分かれており仕方なく外のベンチで待つことにする。

そこで出会った中年インド人。流暢な日本語で話し掛けてくる。
最初は無視していたが、駅構内で座っていた時のドイツ人との会話で、私達の払ったガンジス川のボート下りの料金がとても高かったことを知り、それとなくそのインド人に相場を聞いてみる。すると、ボートの値段はおろかシルクの値段、ガイドへの報酬がどれも倍以上に高いらしい。
「でも、日本人の感覚ではこれでも安い」というと「ここはインドだ」という。
「彼がいなければ私達はこのような観光は出来なかった」というと「彼の代わりならばいくらでもいる」という。


まったくそのとおりです。
「いやー!うそー!だまされたのー?!」とかいって妙に三人で盛り上がる。
不思議と怒る気持ちにはならなかった。値段は自分達で決めたということもあるが、二日間、食事のたびに彼の人生哲学や宗教観を聞いてきて彼の事を悪人とは考えられなかった。
その証拠に私達はヴァラナシ観光を十分に満喫した。 

11月19日(午後)デリーに戻る(2)

 

列車がこないこともあり、私達は長いこと話をした。
チャイを飲みながら私達の結婚の話、彼の家族の話、インドのカースト制度について。
彼のカーストは祭祀を司るブラーマーで自身は菜食主義であるという。愛知万博の時に日本に来たことがあり、インドには日本企業が沢山あるので日本語を勉強したという。結婚していて娘が一人。普段は政府の通訳の仕事をしているらしく、身なりも良い。
そして、明日はちょうど休みだから、デリーを案内してくれるという。車のチャーターに1500Rp、ガイド料に500Rpでよいという。かなり打ち解けていたこともあって案内を頼むことにした。

まだしばらく列車はこない。
きっかけは私達のこれまでの旅行の写真を見ているときに途中で興味ないといった風に断ち切り、仲間とフォームの奥に話しに行った事だった。なぜ、この人は私達に話し掛けてきたのだろうか。なぜ政府の仕事をしている人がたった500Rpで私達の観光案内を引き受けてくれるのだろうか。しかも自分から売り込んでまで。明日休みなら家族と過ごせばいいのではないか。結婚式の帰りらしいが、それにしては荷物が似つかわしくない。なぜデリーから離れたこの街で同業者と一緒に列車に乗るのか。自分をブラーマーと言っているが僧侶にならないのは酒や肉が我慢できないからという理由。日本の寺じゃあるまいし、そんな理由で聖なる職業を選べるのか?というか酒が飲みたいって・・ヒンドゥー教徒じゃないのか?
彼の言っていることがすべて疑わしくなってくる。そして戻ってきた彼に訊ねてみる。
「子供の年は?」
「日本で何食べた?」
「自宅は何処にあるの?」
「そこに家族と住んでるんだね?」
こちらが疑っていることに気付いたのか、さっきまで何処となく気品のあった顔つきはだんだんと崩れていきニヤついた表情になっている。
何を企んでいるのかは分からないが、ウソをついているのは間違いない。
列車もこの調子では明日ニューデリーに到着するのは昼過ぎであろう。そんな時間から疲れた体でデリー中観光する気にならない。
ガイドの件は丁重にはっきりと断った。
中年インド人は素直に応じ、それ以来あまり話し掛けてこなくなった。

11月19日(午後)デリーに戻る(3)

 

結局列車が来たのがPM22:30。5時間の遅れ。インドでは当たり前らしい。
寝台に乗り込むと隣はインド人の老夫婦。少し会話をして毛布を分け合い二人で座りながら寝る。AM1:00頃に目を覚ますと老夫婦は列車を降りていて、二人で広々と寝台ボックスを使おうとするがエアコンが寒すぎて結局かたまって寝る。

朝、目がさめると背の高い、褐色の肌の青年が私達のボックスに携帯電話の充電をしに入ってくる。名前はアンディー。ナイスガイ。インド人。24歳。大学を卒業してDellに勤めるが2ヶ月ほどで辞める。そして、旅をしている。
インドの事や日本の事をたくさん話すが、自分の英語がつたないのがもどかしい。
私達のボックスには車両で唯一の電源があるらしく、皆が入れ替わりに色んなものを充電しに来る。子供も遊びにくる。女学生も遊びに来る。楽しい時間は過ぎニューデリー駅についたのはPM1:00ちょうどだった。

11月20日(午後)デリー観光

 

二日ぶりのニューデリー。初めてこの場所を訪れたのが4日前。同じ格好で同じ荷物を背負っていても景色が随分違って見える。ヴァラナシに行く前に予約しておいた部屋は初日の宿に比べて随分と心地が良かった。ルームサービスを頼む。インドではこのクラスのホテルのルームサービスでもレストランのメニュー並に充実している。列車ではほとんど何も食べられなかったので、勢いよく注文する。チキンカレーを二皿、マトンカレー、ボイルドライスにチャパティー。ここでも妙にビールを勧められる。何なんだろう?
食べ終わってシャワーを浴び街に出る準備をする。時刻はまだPM2:00、少しはオールドデリーやニューデリーの中心街も見てみたい。

ホテルを出たところでリキシャを止め、ガイドブックに載っていた観光スポットである「レッドフォート」を告げるが、運転手は首を振って乗せてくれない。何台か止めてみるが、皆一様に「行かない」という。五台目でやっと乗せてもらうが降ろされた場所は目的地とは全く違う場所。いやぁインドではなかなか気を抜けません。
仕方なくまたガイドブックをめくって現在地から徒歩でいける「インド門広場」に行くことにする。ニューデリーの中心街は道もきれいに舗装され、面している邸宅の敷地もものすごく大きい。私達の滞在している駅周辺とは全く様子が異なる。「初日にこっちに来てたら随分インドの印象も違っただろうな」と思いながら散歩するように歩く。
インド門は第一次世界大戦で犠牲になった兵士の為に建造されたものらしく、結構新しい。
適当に写真を撮ってまたリキシャでコンノートプレイスへ。
ここは初日に必死の思いで、夕食のサンドイッチを買ったコーヒーショップのある地区。
あの時はそのような余裕は無かったが、今歩いてみるとこんなにも華やかな場所であることに気付く。高級レストランやブティック、マクドナルドまである。(インドで初めてみた)
例のコーヒーショップでコーヒーを飲む。外を眺める。
私達は3日間で多くのインドを吸収したらしい。人、文化、言葉、食べ物、たびたび毎に驚かされたが今ではその経験によりインドという国を多少なりとも理解できるように思う。
結局はこの混沌を自分のルールに当てはめようとしても通用しないという事なのである。
この事が分かっただけでも私にとって良い経験となった。

コーヒーを飲んで、リキシャを捕まえ、宿のあるメインバザールに戻る。
バザールをゆっくりと脇道に入ったり、遠回りしながら帰る。ゆっくり眺めるとインド人はとても穏やかな人々である。一部のイメージで全体と捉えると物事を見損なうことがあることを強く実感させられた。
宿についてシャワー(急に水しか出なくなる)を浴びて、日記を書きながら寝る。
明日はタージマハルを観にアーグラーに向かう。 

11月21日  アーグラーに行く

 

朝早くに目がさめる。少し腹の調子が悪い。ついにやられたかのか、単に冷やしただけなのか。今の時期、ここデリーでも朝は相当に冷える。トイレに行ってまた寝る。
AM6:00に起きる。何気なくアーグラー行きのチケットを見るとニューデリー駅をAM6:15発とある。昨晩確認したのはどうやら到着時刻らしい。
大慌てで妻を起こし、3分で支度を整え、ちょうどホテルの前を通った人力リキシャに100Rp渡し超特急で駅に向かってもらう。
「きちんと」列車が遅れていることを願って・・・
駅に到着。一番手前の1番フォームだったがやはり列車は出発した後だった。
急いで次の列車のチケットを手に入れようと考えるが、駅の外国人窓口はまだしばらく開かない。インド人の群がる一般窓口をながめながら途方にくれていると、話し掛けてくる男がいる。
当然怪しいのだが、明日の飛行機で日本に帰る予定の私達としては、藁にもすがる想い。話だけ聞いてみようとついていくと、申込み用紙に次に出発するアーグラー行きの列車番号を記入して渡してくれる。そして、駅の外にある建物の2階を指差して「あそこでチケットが買える」という。これまた怪しいので行くのを躊躇していると、案内してやると歩き出す。値段だけでも聞いてみよう。他にアーグラーまで行く方法がない。仕方なくついていく。男は建物の手前まで案内すると「それじゃ」といって去っていった。
ここで少し警戒心が緩む。
建物に入る。内装は石貼りの清潔な雰囲気で、対応してくれるインド人の英語もしっかりしている。申込み用紙を渡す。値段を聞くと駅で買った値段とぴったり同じ値段。
ここで更に警戒心が緩む。
次のアーグラー行きの列車はすでに満席と告げられる。更にその次の列車では日帰りでタージマハルを見られないらしい。(これは後でウソだと分かるのだが)
困った。タクシーで行くと片道一人5000Rpだそう。「ナイナイ」と首を振ると、その言葉はヒンドゥー語と同じだと笑われる。
不意に「バスがある」という。AM6:30発。既に15分過ぎている。急いで出発確認の電話をしてもらうと、まだ間に合うとの事。急いで支払いを済ませ店のそとに出るとバイクが一台やってくる。二人でそれにまたがり、バスの停留所まで連れていってもらう。
そして無事にバスに乗り込む。
このようにして私達は相場の10倍の値段のするバスチケットを買わされ、5時間以上もこのオンボロバスに揺られている。 

11月21日(午後)タージマハル(1)

 

とても「高価」なバスであったが直接タージマハルに着いてくれたのは唯一の救いだった。
近年インドは大気汚染がひどく、廟の周囲1キロ程はガソリン車が近づけない。
西の入口付近でバスを降りる。そこから廟の入口までインド人がインドしてくる。土産、写真、人力リキシャ。わかってはいるがいちいち断るのが疲れる。顔を覗き込んで勧めてくるのだからホントに疲れる。入口に着くと今度はインド人ガイドがインドしてくる。
入場口に並ぶ人々の長い列を見せながら、700Rpで直ぐに入れるしガイドもしてやると話し掛けてくる。(ちなみに外国人は入場料だけで750Rp。高い!!)
ガイドを無視して列に並ぶ。案の定、列はスルスルとすすみ10分くらいで中に入れる。
入口のボディーチェックでうっかりカバンに入れたままにした,マノイに貰った「ガンガーの水」を取られそうになる。廟にかけない事を約束して(誰がそのような事をするか!)見逃してもらう。アブナイアブナイ。

タージマハルは荘厳な体であった。
周囲を囲った壁の門をくぐった瞬間に見せられるその姿に息をのむ。蒼い空にぽっかりと浮かぶ白い大理石の塊。基壇中央のアラビア特有の形態であるタマネギ屋根を尖塔アーチ型に掘り込まれた外壁が支える。建物四隅を面取りし、その面も同様に尖塔アーチ型に掘り込まれている事により軽やかな印象を受ける。全体には色大理石で象嵌されたアラビア模様がちりばめられている。
しばらく眺める.。真正面からの姿がやはり一番美しい。
靴を脱いで廟の周りを歩く。写真は妻に任せよう。

一段上がって廟の中に入る列に並ぶ。中に入ると急に暗くなる。死者の為に建てられたのだから当たり前だが、目を凝らしてみると中にも大変な装飾が施されている。一枚の大理石に細かい模様を刻みスクリーンのように光を取り入れている壁。
このような事をさせてしまう女性について思いをめぐらす。
ムガール帝国がインド北部を治めていた時代に建造されたこの廟を最後にシャー・ジャハーン皇帝は国を追われ、幽閉先のアーグラー城で亡き皇女を想いつづけて死ぬことになる。美しく残すということが死者に対する最高の弔いであった時代のその中でもずば抜けてその想いが結実したケースであろう。
それにしても、皇帝は更に近くを流れる川の対岸に黒大理石で同じモノを建てようとしたという説はいかにも建築家が考えそうな事だと思った。 

11月21日(午後)タージマハル(2)

 

タージマハルを背に外にでると、インド人が沢山群がってくる。列車の時間までゆっくりと食事をしようということになり、タイミング良く話し掛けてきた人力リキシャに乗り込む。10Rpでどこまでも行くという。こりゃまたどういう手口かと訝ったが、とりあえず近くのレストランまで乗せていってもらう。途中日本人による沢山のリコメンドカードを取り出して見せてくれる。どれも良い事が書いてある。どうやら、この男性は日本人に特化して商売をしているらしい。この料金で始めて、うまくいけば一日案内を依頼されるのだろう。
店に着く。さすがに10Rpでは申し訳無く30Rp渡すと今度は外で待っているという。
インドでの最後の食事をする。カレーばかりの食事もこれで最後かと思い、いつもより変わったものを頼む。気まぐれで頼んだコーラがすごく美味しい。
食事を終え、外に出ると彼はちゃんと待っていた。駅まで運んでもらい50Rpとレストランで書いたリコメンドカードを渡すととても喜んでいた。

駅で列車を待ちながらコーヒーショップでインドと日本の経済格差について考える。
人間一人が働く労力の価値は同じ作業であれば世界のどこでも同じはずである。もし、違うのであればそれはその国の経済のせいである。また経済でしか、その差を是正することは出来ない。しかし、経済によって世界中の貧富の差が解消されてしまうとそこにはどのような世界が広がっているのか。社会主義はそれで破綻してしまったのではないか。日本のように人々の要求が高度に成長してしまった国はそんな世界では生きられないのではないか。
一部の人が富むことで世界をコントロールする時代はすでに終わりを告げようとしている。インドや中国など人口の多い国々の経済が台頭してそれらの国々に富が再分配されるようになると、それまで独占してきた国々の富は必然的に薄くなる。日本は間違いなくそちら側である。人力車を1時間以上も束縛しておきながら100円程度しか払っていない事に対し、いつか手痛いしっぺ返しがあるのではないか。
インドを知るほどに日本の事を考える。
今はアーグラーからの帰りの電車。妻はまた寝てる。良く寝る人だ。 

11月22日  帰国

 

空港行きのタクシーの中。どんよりと曇る、早朝のまだ車の少ない幹線道路を空港に向かう。刺激的な5日間を過ごした私達は感慨深げに車窓を眺める。


「もう一度来たい」


素直な感想である。
今回の旅で、益々インドという国に興味を持った。これからの人生にも大きな影響を及ぼすであろうこの体験を忘れぬよう旅行日記として書き残したいと思う。


旅をしていると、ふとした瞬間に自分の国や、家族、これからの生活、そして自身の事を考える。そして普段の生活では気が付かない事に気付く。
まったく価値観の違う文化に触れ、自分の中の何かが更新されていく。
この感覚が病みつきになり、帰国すると直ぐにまた旅がしたくなる。
その中でもここインドでは強烈なインパクトを受けた、まさに衝撃であった。
初めてこの国の空気を吸ったときのあの臭いや騒音が思い出される。

空港に着く。チェックインカウンターで荷物を預け、近代的で清潔な待合フロアーに腰を下ろす。廻りを見ると、日本で見慣れた看板や大勢の観光客、免税店の化粧品の香り。
そこはもうインドではなかった。

                                                      おわり